東京国際フォーラム誕生までの経緯

東京国際フォーラムの誕生までの経緯イメージ
  

東京都シティ・ホール建設計画基本構想の発表

1985年(昭和60年8月)

旧都庁舎は戦前に建設されたものも多く、著しい老朽化や事務室スペースの狭小等が課題となっていました。東京都は、こうした旧都庁舎の老朽、分散、狭あいを打開し都政の近代化を達成するために本庁舎建設の検討を重ね、1985年(昭和60年)8月「東京都シティ・ホール建設計画基本構想」を発表しました。このなかで、新宿地区に本庁舎、議会棟などの行政機能を移転させ、丸の内地区に国際会議の開催も可能な都民ホールを中心とするフォーラムを配置するという考えが示されました。
この構想の発表を機に、丸の内地区に「東京国際フォーラム」を誕生させる計画が具体的に進み始めることになりました。

旧都庁舎の分散状況(1984年10月現在)

旧都庁舎の分散状況(1984年10月現在)

東京国際フォーラム建設等審議会の発足、答申

1985年(昭和60年)12月~1987年(昭和62年)12月

東京都は、1985年(昭和60年)12月に「東京都東京国際フォーラム建設等審議会」を設置し、以後1987年(昭和62年)12月に最終答申が出されるまでの間に、ここでフォーラムの基本的機能、施設構成、経営・建設の手法等についての審議が行われ、基本的な構成が決められました。また、建設の設計に当たっては、建物のシンボル性を確保し話題性を創出するとともに、多くの人々の参画を得て事業を進めるため、国際的な設計競技方式(コンペ)を採用することが提案され、日本で初めてとなる国際建築家連合(UIA)公認による設計競技が行われることになりました。

東京国際フォーラム国際設計競技

最優秀作品 外観透視図 東京国際フォーラム設計競技応募作品集 ラファエル・ヴィ二オリ・アーキテクツ

最優秀作品 外観透視図 東京国際フォーラム設計競技応募作品集 ラファエル・ヴィ二オリ・アーキテクツ

鈴木知事と面会するラファエル・ヴィ二オリ氏(1989年12月18日)写真提供:東京都

鈴木知事と面会するラファエル・ヴィ二オリ氏(1989年12月18日)写真提供:東京都

1988年(昭和63年)12月~1989年(平成元年)11月

1988年(昭和63年)12月、東京都が設計競技概要を発表し公募を開始したところ、50カ国から395件という多数の応募がありました。1989年(平成元年)11月、米国のラファエル・ヴィニオリ氏の作品が最優秀作品に決定しました。作品は、敷地のもつ特殊な条件を最も巧みに生かし、多様なパブリック・スペースの提供により本施設のさまざまな機能的要求に応える大変完成度の高いものでした。さらに大小複数のホールは、個別の利用にも、一体的な利用にも対応する構成となっており、この作品が、現在の東京国際フォーラムの基礎となったのです。

設計、着工、そして竣工へ

1990年(平成2年)10月~1996年(平成8年)5月

東京都はヴィニオリ氏の作品を具現化するため、競技要項に基づき、設計及び監理について、同氏と契約を締結し、基本設計、実施設計を完了しました。日本の建築法規や防災法規は、米国と比較して多くの制約条項があることから、日本の建築士事務所と協調体制をとって設計が行われました。
建設工事は、1991年(平成3年)10月に着手される予定でしたが、1991年2月と6月の試掘調査で江戸時代の遺跡が確認されたことを受け、1992年(平成4年)1月から9月まで発掘調査を実施しました。
1992年(平成4年)10月に建設が開始されましたが、東京国際フォーラムは敷地の四周を地下鉄道で囲まれ、かつ、大規模で特殊な構造であるため、地下工事など困難な工事が数多くありました。特に、ガラス棟では大屋根のジャッキダウン工法、ホールA大屋根のスライディング工法等、当時最新かつ高度な技術を駆使した各施工者の努力により、44ヶ月の工期の中で滞りなく完了しました。延べ155万人、最盛期には一日3,000人の方々が工事現場で汗を流しました。多くの関係者の英知を結集して、東京国際フォーラムは、1996年(平成8年)5月に竣工しました。

着工から竣工までのイメージ

開館まで

テストラン ホールA(1996年11月9日)

テストラン ホールA(1996年11月9日)

開館記念式典 テープカット 写真提供:東京都

開館記念式典 テープカット 写真提供:東京都

~1997年(平成9年)1月

当時の運営体「財団法人東京国際交流財団」は、1997年(平成9年)1月の開館を目指して、催事の誘致・営業活動、広報活動、建物管理及び利用者の利便性向上に係る協力会社の選定、店舗等サービス施設の整備、施設利用規程・利用料金・利用手引き等の整備、スタッフトレーニング等、様々な開館準備に取り組みました。
開館まで残り2ヶ月となった1996年(平成8年)11月には、施設のハード・ソフトの両面の課題を抽出し、開館前に改善する目的でテストランを実施。ホールAに約5,000人、ホールCに約1,200人を動員し、満席時の音響測定や来場者の流れ、ロビー等の滞留状況等のシミュレーションを行いました。また実際に1,000名規模の会議や3,000名規模の展示イベントにご利用いただき、様々な角度から調査を行いました。
そして、1997年(平成9年)1月10日、東京初のコンベンション&アートセンターとなる東京国際フォーラムがついに開館の日を迎えました。

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